若杉山文殊院は、先代住職高瀬覚明師が高野山の弘法大師祖廟に参籠の折、霊感により文殊菩薩を感得され、のちの昭和47年(1972年)10月に文殊菩薩を安置し、建立された高野山真言宗を宗旨とする寺院であります。
若杉山養老ヶ滝中興の祖高瀬無染師は、盲目の身にもかかわらず本尊「不動明王」の霊感を頂き、多くの人々を救済されました。
惜しくも昭和11年(
1936年)10月10日に遷化されましたが、師は「日切地蔵尊」の御身となりてもなお、人々を救済し続けるとの衆生済度の誓願を遺言され、この師の遺志を継ぎ1周忌の同日「日切地蔵尊」像が完成され、のちの地蔵尊霊場開創の年、多くの篤信なご信者の度々の浄財により文殊院境内に地蔵堂が建立され、地蔵尊霊場の本尊として「日切地蔵尊」が安置されました。無染師は稀なる霊得を地蔵尊に託され、多くの人々の心願の成就を願い続けておられます。
若杉山養老ヶ滝は養老2年(718年)にインドの高僧、善無畏三蔵がこの滝を開き、不動明王を祀り、修行されたと云われています。大同元年(806年)には、弘法大師
(空海)が唐より戻られた折、この滝で修行されました。その後、若杉山の修験道の根本道場として栄え、荒廃した時期もありましたが、明治38年(1905年)、霊地の荒廃を嘆いた盲目の僧高瀬無染師により再建され、現在に至ります。